「建長寺」鎌倉 :鎌倉五山一位・日本三大五百羅漢・鎌倉三名鐘の梵鐘・日本初の本格的禅寺と見所満載の名刹
住所:神奈川県鎌倉市山ノ内8
☎0467-22-0981
拝観料:500円(大人)
休:無休
拝観時間:8時30分~16時30分
駐車場:有(20台)、建長寺専用駐車場600円(最初の1時間支払、以降30分単位で出庫時に清算)
アクセス
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JR横須賀線「北鎌倉駅」下車、徒歩20分
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JR横須賀線「鎌倉駅」下車、バス10分(江ノ電バス各種「大船方面」行き、「建長寺」下車
マイカー:横浜横須賀道路「朝比奈IC」から県道204号、21号線道なり20分
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正式名:巨福山建長寺興国禅寺
山号:巨福山
宗派:臨済宗建長寺派
本尊:地蔵菩薩
開基:北条時頼
創建年:1253年(建長5年)
開山:蘭渓道隆
寺格:大本山、鎌倉五山一位
別称:建長興国禅寺
札所:鎌倉三十三観音霊場28番、鎌倉二十四地蔵9番-11
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「建長寺」は正式名称を「巨福山建長寺興国禅寺」といい、名前からも分かるように禅宗のお寺である。今から760年前、建長5年(1253年)に鎌倉幕府5代執権北条時頼が建立した我が国最初の禅寺。また一説には、「建長汁(ケンチンジル)は建長寺の修行僧が作っていた「建長汁」がなまり「けんちん汁」となったといわれている。
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鎌倉へは何度となく訪れているが、若い時はその大きな門構えに圧倒され、何故かこうした大きなお寺には余り興味がなく、私の中の古寺巡礼にはあてはまらず素通りしていたものである。今回、「百寺巡礼」(五木寛之)を読み始め、別の角度から興味をそそられ、また「鎌倉五山一位」・「日本三大五百羅漢」と是非にでも行ってみたいお寺となった。
ちなみに「鎌倉五山」とは、中国にならい日本でも禅寺を3段階に格付けし、その最上位が五山。室町時代、鎌倉と京都にそれぞれ五山が定めらた。鎌倉五山の一位「建長寺」、二位「円覚寺」、三位「壽福寺」、四位「浄智寺」、五位「浄妙寺」となっている。
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百寺巡礼・第5巻の46番目(五木寛之)にこの「建長寺」が著されていて、表題には「中国僧が武士に伝えた禅」と記されている。そして”南禅寺の三門にも驚いたが、建長寺の三門はそれに勝るとも劣らない”とあり、京都南禅寺派の私として居てもたってもいられずでかけることとなった。
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5月中旬、梅雨前の暑い日射しのなか「鎌倉駅」東口より若宮大路を歩き、「鶴岡八幡宮」前の突き当りを左折し、横浜鎌倉線を「北鎌倉駅」方面へ向かうと「建長寺」の総門前に着く。(北鎌倉駅から徒歩15分)
海沿いのためかそれとも鎌倉独特の地形のためか、京都とは違った暑さにようやくたどり着いたといったのが正直な感想である。
「建長寺」は鶴岡八幡宮の北側の山間に立っている。鎌倉は海と山に囲まれた天然の要害であり、かつて幕府はこの地への侵入者を防ぐため、山からの入口を限定した。山を切り裂くようにして道をまず七つ作ったのが切通しである。鎌倉七口と呼ばれ「亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「大仏切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通し」「名越切通し」があり、私が歩いてきた「巨福呂坂切通し」がある。切通しというのは鎌倉に独特なものである。
そして、建長寺の境内が広がる谷は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で罪人を弔うために地蔵菩薩を本尊とする伽藍陀山心平寺という寺が建っていた。
建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく、地蔵菩薩であるのはこうした因縁によるものであるとのこと。
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外門である「天下門」前には大きな石塔があり、「臨済宗五山第一 建長寺」とある。正面左には「鎌倉学園」があり、大寺と学園とのコントラストがとっても新鮮に覚えた。
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外門をくぐり、大駐車場を奥に進むと「総門 巨福門」が目に入る。天明3年(1783年)の建立で総門に掲げられた「巨福山」の額は建長寺10世住持の渡来僧・一山一寧の筆と伝えられ「大きな福をもたらす寺」という意味とのこと。「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられているが、この点があることによって字に百貫の重みが増したということで「百貫点」とも呼ばれている。
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入口で拝観料を払う。しおりを見ると「天下禅林」(人材を広く天下に求め育成する禅寺)と記載されてあった。
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境内に足を踏み入れると、目の前に「三門」(三解脱門/国重要文化財)が現れる。安永4年(1775年)の上棟、三間一戸の二重門で上層屋根はこけら葺き形銅板葺きとする。下層はすべて吹き放しで、扉は設けていない。高さ30メートルあり、その上部には「建長興国禅寺」の扁額が掛かっている。
かつては今の2.5倍の大きさで、門の幅は左右の山裾にまで達していたという。
京都の南禅寺は私の一番好きな所でもあり、その三門に勝るともとのことで期待もしていたが、正直な感想は少し落胆してしまった。
壇上の中央には、釈迦如来像が安置され、その上下左右に五百羅漢像(銅製)がずらりと並び十六羅漢像もひかえているとのこと。
羅漢(阿羅漢)とはすでに修業を完成した人たちのことで修業を成し遂げた状態を身を持って教えている。羅漢像を三門の上に安置して、ここをくぐる人に修業にめざめ、執着心から解脱され清浄な心になってほしいと願っているのだそうだ。また、この五百羅漢は日本三大五百羅漢の一つに数えられる。(「羅漢寺」大分県/中津、「建長寺」神奈川県/鎌倉、「徳蔵寺」栃木県/足利市または「喜多院」埼玉県/川越市)
三門の楼閣へも上がることもできず非公開で残念としかいえない。
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三門を後にして「白槙」(重要文化財/神奈川名木百選:開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、樹齢約760年、樹高13メートル、胸高周囲6.5メートルといわれる)の横を通り、
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「仏殿」まで来た。
芝、「増上寺」にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されたとのこと。このため屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっているとのことであった。
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中に入ると外観からは想像もできない驚きと感動である。それが何に起因するのか分からないが、全てに新たな美しさを感じさせてくれる。座高2.4メートル、台座を含め5メートルの地蔵菩薩坐像があり、格天井の見事さに圧倒される。だいぶ色あせており、それが歴史の重みを感じさせ荘厳さがある。何に起因するかをあえていうのなら、釈迦如来と違い地蔵菩薩のためだからと思える。私の中ではお釈迦様は崇高であり、地蔵菩薩は身近さを感じさせてくれる。
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堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置している。
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次に向かったのが
「法堂」(重要文化財)
「講堂」に相当する建物で文政8年(1825年)の竣工とのこと。鎌倉最大級の木造建築であり関東最大級でもある。
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内部には間仕切りはなく、床は瓦敷きであった。堂内中央奥に高さ2メートルを超える法座があり、本尊千手観音坐像を祀り、その手前には釈迦苦行像が安置されている。
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なお、天井の雲龍図(小泉淳作筆)は、鏡天井に直接描かれたものではなく、別に制作された絵を掲げたものである。
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「唐門」(国重要文化財/勅使門)
方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。
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唐門から更に境内のいちばん奥が山になっていて、かなり急傾斜の石段がある。そこを登ると境内のもっとも奥、山の中腹にある、建長寺の鎮守である
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「半僧坊」に出る。
半僧坊権現とは、後醍醐天皇皇子の無文元選禅師の元に忽然と現われ、無理やり弟子入りした白髪の老人で、神通力を持っているといわれ半僧半俗姿の大権現。無文禅師が死去するとその老人も姿を消したという。
半僧坊へ上る石段の途中には天狗の像がある。
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さらにその上の山道を登ると展望台があった。
方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、中国の禅宗様式に基づき創建当時の面影を残すものとされ、ここ展望台からも足もとに建長寺の境内が広がり、一直線に並んでいるのが確認でき、遠くに目をやれば鎌倉の街が一望できる。
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半僧坊から天園ハイキングコースへと歩き、展望台からの建長寺はまさに絶景であった。
ここまで登ると、鎌倉という街の喧騒はなく、どこか別の地へタイムスリップしてしまったかのような錯覚を覚える。
京都の貴族文化とはまた違う東国の武家政権の仏教文化をほんの少し覗けたのではないかと思い来た道を引き返すことにした。
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「梵鐘」(国宝)鎌倉三名鐘
最後にまだ見ていない三門付近にあり、三名鐘のひとつ「円覚寺/鎌倉」「建長寺/鎌倉」「常楽寺/大船」に立ち寄る。1255年(建長7年)鋳造によるもので、大きさはわずかに円覚寺の洪鐘には及ばないらしい。
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追:”地蔵菩薩は衆生を救済する仏だ。法然や親鸞の教えは、念仏を唱えれば救われるというものだった。しかし、禅では念仏をしても精神の安定が得られなければ意味がないと考えている。禅という修業をすることによって(自分が努力する)初めて心の安定が得られる。(五木寛之:百寺巡礼第五巻より)”