「喜多院」川越:日本三大五百羅漢・日本三大東照宮のある小江戸・川越の名刹

住所:埼玉県川越市小仙波町1-20-1
☎:049-222-0859
拝観料:400円
休:12月25日~1月8日、2月2日・3日、4月2日~5日
拝観時間:9時00分~16時00分(受付15時30分まで)(緊急事態宣言期間)
駐車場:有り(133台)3時間500円
アクセス:西武新宿線本川越駅下車、徒歩15分
マイカー:関越自動車道、川越ICより20分
正式名:星野山 無量寿寺喜多院
山号:星野山
宗派:天台宗
本尊:阿弥陀如来
開基:円仁、淳和天皇(勅願)
創建:天長7年(830年)
開山:
寺格:
別症:川越大師
札所:関東三十六不動28番
この日は天気も良く2月というのに比較的暖かく、ウォーキングも兼ねて歩いて喜多院まで足を延ばすことになった。喜多院には今まで何度となく訪れてはいるものの、余り気にすることなく境内を徘徊して帰ってきたものだった。
今回は真剣に歴史を学ぼうと思い、昨日まで調べた資料を片手にやって来た。調べたところによると、喜多院は「日本三大五百羅漢」、「日本三大東照宮」があるとのことで、大変楽しみにしている。
ここ喜多院は有料の大駐車場もあり、マイカーでの参詣に不便はない。
今日は、ここよりだいぶ離れた川越物産展横の市の観光用無料駐車場に車を止めて、小江戸川越のシンボル「時の鐘」に寄り、一番街「蔵造りの町並」・「成田山川越別院」を経由し、「喜多院」までやって来た。
駐車場脇を横切り、山門前入口に立つ。石柱には「星野山 喜多院」とある。ここ喜多院の正式名は「星野山 無量寿寺喜多院」である。
平安初期の天長7年(830年)、円仁(慈覚大師)が天台宗の教えを東国に広めるため、無量寿寺として開創したのが始まりとのこと。
山門手前の右手に青銅像が立っていた。天海大僧正である。
この天海大僧正(1536年~1643年)は慶長4年(1599年)に第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。
将軍徳川家康公の信頼もあつく、宗教政策の顧問的存在でもあったとのことで108歳まで生きたとのこと(朝廷より慈眼大使の称号を賜る)。
川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たり、慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法渡により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜り、寛永15年(1638年)には川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年徳川家光の命で江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。
これが今に残る客殿、書院、庫裏である。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し、750石・寺領48000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。
目の前の山門がある。この山門は天海僧正が建立したもので川越大火を免がれ喜多院では最古の建造物とのこと。
山門をくぐるとそこは大きな広場となっている境内である。お団子やさんや露天があり、正面左に慈眼堂、右に庫裏・寺務所がある。
水屋のシンボルマークの水を司る竜神を通り過ぎ、慈恵堂に入りる。
慈恵堂は「大師堂」とも呼ばれ、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源を祀るお堂とのこと。
「潮音堂」というの名前の由来は喜多院七不思議のひとつによると、広くて静かなお堂の中で耳を澄ませていると、ザザザーという音が聞こえ、まるで潮の音のようだということで名付けられたとのこと。
本堂の中の右手にお守りの授与所があり、この右奥にはお釈迦様のお弟子さんで十六羅漢の一人、お賓頭盧尊者が祀られている。
中央に慈恵大師を祀り、左右に不動明王を祀られている。
次に歴代住職墓所、天海僧正墓碑を通り本日の目的でもある仙波東照宮へ向かう。
しかし、ここは東照宮であり喜多院とは一線を境にしているため、正式な門より参詣するため一度外に出て、改めて東照宮随身門より入り石鳥居を潜る。
眼前の小高い古墳群に目指す東照宮が見えてくる。
仙波東照宮(国指定重要文化財)は日本三大東照宮で日光東照宮(栃木)・久能山東照宮(静岡)と日本三大東照宮のひとつである。元和2年(1616年)、駿府城で徳川家康が亡くなり、久能山で葬られるが、家康公の遺言により2代将軍秀忠が日光山に向かう途中の元和3年(1617年)に喜多院に逗留し、3月23日~26日の4日間、天海僧正が導師として大法要を営んだとのこと。
そのことから境内には、仙波東照宮が祀られ、寛永10年(1633年)に完成する。
急な石階段を昇った先に、何人も寄せ付けない堂々と威厳をもった徳川家の葵の家紋の正門がある。石玉垣の周り歩いてみる。流石に立派である。色鮮やかにして拝殿・幣殿・本殿と建っていた。
<日本三大東照宮>東照宮とは、東照大権現たる徳川家康を祀る神社であり、3番目に自社を加えて「日本三大東照宮」とすることが多い
1、日光東照宮(栃木県日光市)
2、久能山東照宮(静岡県静岡市)
3、仙波東照宮(埼玉県川越市)
女坂より降りて慈眼堂に行ってみた。
慈眼大師天海を祀る。寛永20年(1643年)に亡くなり、翌々年に徳川家光公の命によりこのお堂が建てられた。厨子に入った天海僧正の木像が安置されている。
さて、次は鐘楼門、大イチョウ、小江戸川越七福神の大黒天が祀られている大黒堂を抜けて
本命の客殿・庫裡へ足を向ける。
ここも歴史があり
川越大火の後、将軍家光が江戸城の御殿を解体・移築したもので、江戸城はその後、火災・震災・戦火により焼失したことで、喜多院に移築したこの「客殿・書院・庫裡」は現存する、唯一の江戸城の遺構といわれている。
受付で拝観料(五百羅漢の拝観とセット・・単体販売はしていない)を支払い、中に入る。
残念ながら、ここから先は撮影禁止となっている。
客殿は仏間やこの建物が江戸城にあった頃、家光公が生まれたということから名付けられた「徳川家光誕生の間と呼ばれる上段の間、そして家光が使用したとされる湯殿・厠があった。
また、書院の家光の乳母として名高い春日局が使用していた「春日局化粧の間」がある。
春日局は以前にNHK大河ドラマにも取り上げられたこともあり、大奥の基礎を構築した人物でもある。
客殿を後にして多宝塔を横切る。ここには2体の如来さまが安置されているらしい。
本日、最後になってしまったが待望の五百羅漢に向かう。先ほどのチケットの半券を出し中に入る。底は何とも言えない厳粛とした場所だった。華やかさもなく静かな時の歴史を一番に感じる。
「日本三大五百羅漢」の1つで天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の半世紀にわたって建立され、538体の石仏が鎮座する。
石仏は全てが異なる表情・ポーズであり、深夜羅漢の頭を撫でると、1つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ている、とのこと。(残念ながら深夜の入場はできない)
<日本三大五百羅漢>
1、羅漢寺(大分県中津市)、545体・曹洞宗
2、建長寺(神奈川県鎌倉市)、  体、臨済宗
3、徳蔵寺(栃木県足利市)、  体、天台宗
4、喜多院(埼玉県川越市)、538体、天台宗・・3,4は出展により異なる、とのこと
このほかにも
喜多院七不思議と伝承(喜多院に語り継がれてきた話)
1、明星の杉と明星の池
2、潮音殿
3、三位稲荷
4、山内禁鈴
5、琵琶湖橋
6、底なしの穴
7、お化け杉
8、どろぼう橋
9、榎の木稲荷
等、まだ見ぬところも多く、実に思っていたより大きく大変有意義な場所であった。

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