渋沢栄一とコラボした「時の鐘」コイン、 川越の蔵造りの街並みの観光名所「残したい日本の音風景100選」にも選定
住所:埼玉県川越市幸町15-7
☎049-224-6097(文化財保護課)
拝観料:なし
休み:なし
拝観時間:なし
駐車場:なし(専用駐車場はなく、近隣の有料駐車場を利用)
アクセス:西武新宿線「本川越駅」から徒歩15分
JR川越線・東武東上線「川越駅」から「蔵の街経由バス」乗車、「一番街」バス停下車し徒歩2分
マイカー:関越自動車道・川越ICより川越市役所方面へ
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名称:時の鐘
用途:時計台
階層:3層
高さ:16m
改築:1894年
「時の鐘」、ここは「残したい日本の音風景100選」にも選ばれている小江戸・川越のシンボルタワーである。川越の蔵造りの街並を歩き、ちょっと脇道の路地へ入ったところに何げなくその建物はある。
今ほど観光的でなかった以前は人もまばらであったが、今では休日の多さはいつもびっくりさせられる。
そして小江戸・川越として全国に知られるようになるには地元の人たちの並々ならぬ苦労もあったのだろう。
この「時の鐘」は元は鐘楼であり、地元の人びとの間では「鐘撞堂」と呼ばれ親しまれているらしい。
3層構造の塔で高さ16m、古くは鐘撞き守が決まった時間に時を知らせていたが、現在では機械式で1日4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)に川越城下に時を知らせている。
「時の鐘」には、散策ついでによく通るが、今までこの鐘の音を聞いたことがなかった。
1996年(平成8年)に「日本の音風景100選」に選ばれ、この音を聞かずして川越を語れまいと思い、今日は意気込んで来た。
塔をくぐると薬師神社になっている。神社は病気平癒、特に眼病に対してご利益があると木札にはある。
江戸時代の寛永4年(1627年)に川越藩主・酒井忠勝によって建設されたのが始まりで、火災によりたびたび焼失し、現在の鐘楼は4代目で、1893年(明治26年)に起きた川越大火(町の3分の1が焼失)の翌年に関根松五郎の設計で再建されたものであるとのことらしい。
調べてみると、この再建に際しては、晩年を川越で過ごした渋沢栄一の資金援助や、明治天皇からの下勅金、その他の各事業家等の献金があったとのこと。
下から見上げると、意外に高くそのてっぺんに鐘楼がある。登ってみることはできないが、鐘楼も意外に大きいのがわかる。
そして、今を時めく「渋沢栄一」の痕跡が川越にあるのもうれしい。新一万円札の肖像に決まり、今年度のNHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まったばかりでもある。
渋沢栄一は、かつては徳川慶喜の世話になった経緯より、徳川家と縁の深い喜多院の文化財や環境などを保全する「星岳保勝会」の設立に尽力しているとのことから川越とも縁が深かったとある。
また、「時の鐘」とコラボしたコインが存在する。2014年(平成16年)度に地方自治体施行60周年を記念して発行された千円銀貨で、埼玉県はその名も「渋沢栄一と時の鐘」とした。(500円硬貨は「埼玉スタジアム」)
余談になってしまうが、この川越での痕跡をたどっていくうちに、渋沢栄一直筆の扇があることを知る。この「時の鐘」より東に、県立川越高校があり、その図書館に漢詩で書かれた扇形の直筆の書が残っているらしい。
実際にみてはいないが、そこには
”「待有余而 清人終無・・・余り有るを待ちて 人を済はば終に
清人之日 待有暇而・・・人を済ふの日無けん 暇有るを待ちて
読書必無 読書之時」・・書を読まば必ずや 書を読むの時無けん
(余裕ができるのを待って人を済い助けようとするならば
いつになっても人を済う日はおとずれないであろう
暇のできるのを待って書を読もうとするならば
必ずや書を読むときはやって来ないであろう)”と記されているとのこと。
時計を見ると11時55分。慌てて音色を聞くべきビデオをスタンバイする。12時00分、「時の鐘」の真向かいで聞き、次に全貌を見るために少し離れて撮影する。
これが「残したい日本の音風景100選」なのか。できれば6時00分の朝の静けさの中で聞いてみたいものだ。全国にこうした「音風景」があり、いつかそんな放浪も贅沢かな?と思いもして次の目的地「喜多院」を目指した。