マムヤの墓-絶世の美女といわれたマムヤの悲恋伝説がある、大きな自然石をくり抜いた横穴式の墓(宮古島)
住所:沖縄県宮古島市城辺保良平安名崎
アクセス:宮古空港から車で40分
令和元年9月29日(2019年)
平安名埼灯台に向かう途中の巨石が気になり、近くによって見ると凛々しい女性の絵が飾られ、巨石の横穴には祭壇らしきものが見え洞穴の横には「マムヤ」の美しさがわかる女性の絵が置かれている。。
どうやらここはお墓のようで、そうおもうと南国とは言え何か冷気を感じる。
この時は灯台への気持ちがはやり、写真を何枚か撮り立ち去ったのだが、帰宅してからいろいろと調べてみると絶世の美女といわれた「マムヤ」の悲恋伝説があった。
その昔「按司(あじ)」と呼ばれる豪族たちが権力を持っていた時代、保良の村に大和の国から落ちのびた平家の女性で「マムヤ」という絶世の美女が住んでいた。その美しさが評判となり、権力者たちが求婚した。この「マムヤ」は香草(ニフニリ)の芳香を漂わせ男たちを魅了した。そんな「マムヤ」は身を洞窟に身を隠し、機を織るようになっていった。しかし、そんな「マムヤ」のもとに、当時の領主であった「按司」が訪れ、それがきっかけとなり「マムヤ」は妻となった。
しかし、按司には正妻がいて、それを知った「マムヤ」が正妻と私とどちらをとるのか詰め寄ると、按司は「糞尿の臭いがしても子どものいる妻を選ぶ」と・・・
それを聞いた「マムヤ」は悲しみにくれ平安名崎の岬から身を投げた。
母親は娘の死を悼み「この村に美人が生まれないように」と神に誓ったとか・・
この巨石の手前遊歩道の途中に「保良魚港」があり、北側岸壁に「マムヤ」が機織をしたと伝えられる「機織場」も残され、また別の場所にはマムヤの屋敷跡も残されている。
残念ながら今回は素通りしてしまい、見ることはできなかったが、こうした昔話は全国あちらこちらにあり、悲しい物語である。
いつの頃からか、この巨石をマムヤの霊を弔う墓として伝えられるようになり、この墓の横にはマムヤの肖像画が置かれ供物を奉げられるようになったとのこと。